社会復帰
2018年9月末に就労移行支援を卒業し、
2018年10月1日に事故前に新卒入社できた会社へ
職場復帰することができた。
復帰した部署は、入社時に配属された部署と異なり、
営業のバックオフィスを担当していた。
バックオフィスっていう響きはかっこいいけど、
やっている業務は正社員じゃなくてアルバイトでも
いいのでは?と思うような業務ばかりだった。
書類のスキャンやコピー、製本作業、ドライブ整理、
ラミネート看板の制作、ネットアップ、溜まった不要紙の
シュレッダー作業などが主なやることであった。
週4日(月・火・金・土)の5時間程度の勤務。
復帰する時には、社長が気遣ってくれて、
週1→週2→週3→週4と約1カ月間かけてリハビリ出勤という扱いにしていただき、
ゆっくり会社で過ごすことと業務に慣れることを促していただいた。
私は復帰スタートから週4の5時間で働く気満々だったから
社長の提案には、少し拍子抜けした気分であったが、
社長は私のためだけではなく、障害者雇用が初だった
会社全体にとっても、お互いまずは少しずつという判断であった。
社長という立場上、当たり前のことだけど、全体を考えて行動する
リーダーシップ力を感じ、私には全く考えていなかっただけに
なるほど、と納得してしまった。
私は復帰初日は業務は疲れを感じるものではなかったが、
案の定久しぶりに再会する会社の人や新しい部署に気疲れしてしまい、
帰宅して動く気力ゼロでバタンキューした。
帰宅後〜翌日の出社までの様子
帰ってバタンキューして夜に目覚めて行動開始し、
入浴と夜ご飯を済ませてテレビを見てのんびりして
夜中2時ごろ就寝して、翌朝5時に起床して
お弁当と朝ご飯を準備して身支度する。
出社は毎朝同居していた旦那が会社まで車で送ってくれた。
アパートから会社までは、車で約30分くらいの距離だが、
朝は出勤と登校ラッシュで1時間くらいかかる。
だから途中でコンビニに寄りトイレ休憩をして
朝やお昼に食べるご飯やデザートの足しを買っもらう。
そうして朝8時過ぎに会社に着いて無事出社。
まだ朝礼も始まっていないのに、私のHPは40くらいは削られていた。
退勤後
日中働いて、15:00退勤し、帰りはタクシーに乗って帰る。
同じところから毎回同じタクシー会社に連絡して
迎えに来てもらっていたから、そのタクシー会社の
女性ドライバー何人かと顔見知りになり、仲良くなって
帰りのタクシーの車内はずっと笑っていた気がする。
まあ、何回かハプニングもあったけど。
帰宅すると夕方16:30頃。
片付けや着替えをして休憩と言いつつ
ソファに座り込んだらいつの間にか夜。
そんな生活が暫く続いた。
調子がいい時は、料理をするが、簡単な野菜炒めでも
調理時間に3時間くらいかかっていた。
リハビリとの両立
仕事には復帰したものの、ゴールではない。
毎週車で1〜1.5時間くらいかかる場所にある病院へ通院し、
高次脳機能障害のためにできなくなった運転の再開へ向けて
リハビリに通った。
旦那には毎週送迎してくれて感謝している。
月・火曜日は仕事。
水曜日は訪問リハビリで理学療法士さん。
木曜日は通所で言語聴覚士さんと作業療法士さん。
金・土曜日は仕事。
日曜日は溜まった家事やご飯の作り置きと買い出し。
振り返ると私にはなかなかハードスケジュールではあったが、
家族や友達が支えてくれたおかげで楽しんで生活していた。
通所リハビリの道中は、普段の生活圏と離れた所だったため
ピクニック気分のドライブデートだと思い込んでいた。
苦手な業務
途中で部署異動があった。
正確には部署は変わらないが、係が変わり、業務も少し変わった。
そして勤務時間も毎週火・土曜日は15:00→16:00退勤にと
1時間延びた。
業務は相変わらず難しいものではないが、
私にとって難しく感じる業務もあった。
それは、不動産業という業種柄、
坪単価の計算や、アプリで部屋の間取り図を作成したり、
複数ある物件の中から、値下げや成約などで情報の更新が
あるものを探し出し、ネットを更新する作業である。
高次脳機能障害を言い訳にはしたくないが、
数字・遂行機能・注意力を使う業務は
復帰した当初も7年経った今もずっと苦手である。
慣れないなー。(ため息)
会社に復帰した初日に、私の席に置かれていた色紙。
泣けるぜ〜。
私がこけない様に、みんなが座っているキャスター付の椅子とは別で
しっかり足が地面に着いている重めの椅子を席に準備もしてくれていた。
改めて感謝。
事故〜社会復帰についての記録は終わり😀完
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