子育て脊髄小脳変性症高次脳機能障害

出産の記録 〜長女編〜

高次脳機能障害のためか
ただの鈍感な性格なのか
どっちかはハッキリとわからないが、
約3年前の出産時には
何回かプチハプニングが起きた。

コロナ禍

私が第一子の出産をした2021年8月は、
コロナ禍であり、私が住む沖縄では
コロナ感染者数がピークに上り、
これまでのアルファ株などから、
感染力が強いインド由来の変異ウイルス
「デルタ」株への置き換わりが進んでおり、
各地でクラスターなどが起こり、
第4波がまだ完全に収まりきらないまま
第5波が到来し、沖縄県ではかつてない
大規模な感染の広がりを警戒している最中だった。

ニュースでは、体調が悪化して
救急車を呼んだものの、受け入れる
病院が見つからずに重体になったり、
妊婦が感染したら、まだ赤ちゃんが
小さくても帝王切開で出産することに
なったりと、毎日不安を煽るような
ニュースが入ってきていた。

沖縄では、コロナに感染した
妊婦を出産のために受け入れる
病院が定められていたが、
私が出産する予定の病院は
該当せず、陣痛や破水で
来院しても、もしPCR検査をして
コロナ陽性が出たら出産できる
病院へ搬送することになると
説明を受けていた。

怖すぎる。

初産だし、すぐは産まれない
かもしれないけど、陣痛に耐えながら
家族と離れた病院へ搬送されるとか
考えただけでも無理だった。

陣痛

2021年8月15日の夜中3時頃。

お腹が少し痛くなって
トイレに行きたくなり目が覚めた。
今思えば、これが陣痛の
始まりだったのかもしれない。
(前駆陣痛?)

しかし、出産予定日まで
あと1週間くらいあり、初産は
予定日超過することが多いと
言われていた上に、陣痛がくる前に
前駆陣痛や少し前には「おしるし」
という出血がある聞いていたたが、
どちらもまだ気付いていなかったため、
これが陣痛だとは少しも疑いはしなかった。

その後もトイレから
出ても約20分後にまた
トイレに行きたくなって
起き上がってトイレに行くことを
何回か繰り返しているうちに、
隣で眠っていた旦那が気付き、
病院へ電話してくれた。

私は病院から事前に、
陣痛の間隔を測って
10分間隔になっていたら
来院するように言われていたため
まだ病院に行くのは
早すぎて、もしかしたら病院に
着いてもまだまだ産まれないと
判断されて一旦かえされるのでは
ないかと危惧していた。

陣痛なのかも分からないし、
まだ10分間隔ではないため
旦那を起こさずにいたが、
旦那が病院へ電話すると
病院からは「すぐ来て」との回答が😲

だけど私はまだ事の
緊急性に気付かず、
まだまだこっから長いと思い込み
旦那にお風呂に入るよう指示し、
自分はその間も何度もトイレに
こもっていた。

病院へ

私には障害と難病がある。
だから、妊娠検査薬で陽性が
出たため、何か所かの産婦人科に
受診可能か電話しても、
何かあった時に対応できないから
受け入れできないと断られまくった。
そのため、産婦人科ではなく
総合病院の産科を
受診することになった。
しかし、妊娠中は妊娠糖尿病や
高血圧などの症状も無く、
特に問題が起こることはなかった。

あ、たまにあったのは、
「胎動がない」ということだった。

胎動がないと言うと語弊か。
結果的には毎回お腹の
赤ちゃんは元気に動き回っていた。

だけど、私の鈍さがここで発揮され
胎動に気付いておらず、
赤ちゃんが動かないと
思い込んで救急病院を
受診したりしたが、
妊娠中のハプニングはそれくらい。

しかし、いざ陣痛がくると
私はポンコツだった。

夜中の3時頃にきた
陣痛から約3時間ほど経って
ようやく病院に向かった。

日曜日だし、時間が時間なだけに
当時住んでいたアパートの廊下で
大声を出すわけにはいかない。

そのため、口にタオルを
詰めて外出し、駐車場まで
歩いて向かった。

病院へ向かう車中は、
体に勝手に力が入り
いきんでしまい
大声で叫んでいた。
また、後から旦那か
聞いた話によると
車のシートと私の履いていた
ズボンが濡れていたらしく、
恐らく車中で破水したと思う。

分娩台へ

病院へ着くと、
もう歩けない私のために
旦那が病院から
車椅子を借りてきてくれた。

車椅子に乗って受診すると
すぐPCR検査をされた。

ここから検査結果が
出るまで半日くらい
待たされるのかも
しれないと思っていたら、

一人の看護師さんが
確認したところ、
「もう赤ちゃんの頭が少し出ている」
とのこと😲😲😲

周りが慌ててPCRの結果が
出たのかどうかは分からないけど
そのまま急いで分娩台へ。

朝6:42に旦那が
入院受付し始めた頃、
助産師さんからは
「まだいきまないでねー!」
と言われた次の瞬間、
「もう頭が出てる!
もういきんで!!」って笑

そして旦那がまだ
入院受付をして病院内にいる頃の
朝7:08に赤ちゃんは
産声を上げたのでした。

会陰裂傷

会陰裂傷を避けるため
出産時にほとんどの人が
会陰をきられると聞いていたが
私はスピード出産だったため
その対策を講じる時間もなく
会陰裂傷してしまった。

これがめっちゃ痛い。

出産は、鼻からスイカとかに
例えられるのを聞いて
びびっていたが、出産よりも
会陰裂傷の方が痛かった。

そのため、自然分娩の場合は
5日間の入院で退院できるところ
縫合手術を受けることになって
入院生活が3日間ほど伸びた。

退院

出産から約2日後から
始まった母子同室の入院生活。

おしり痛くて座るのきついし、
慣れない赤ちゃんの
世話や昼夜関係なく娘。
上手くならない授乳。
泣きまくって余計
咥えることができず泣く娘。
焦る私。
授乳の姿勢が辛くて諦めたくなる。
痛いお尻と寝不足で働かない頭。

娘が寝ている内に
一緒に寝ればいいのに、
分かってるんだけど、
興奮しているのか中々眠れない。

出産したら、その日のご飯は
お祝い御膳で豪華な食事が出ると
噂で聞いていたため、楽しみに
していたのに、私は産婦人科ではなく
総合病院での出産だったからか、
毎日普通の病院食だったし😭

そんな心がボキボキ
折れる入院生活が1週間続き、
不安を抱えつつ無事退院。

退院時は、旦那と母が
一緒に迎えにきてくれて、
コロナ禍で面会禁止だったため、
赤ちゃんとは初対面の3人。

退院して旦那と母に会って
ホッとした瞬間でした。


しかし、これは決してゴールではなくスタートラインにようやく立ったとこだったのである。


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