2024年12月29日0時27分
私は第二子である次女を出産した。
38週1日だった。
結果的に母子ともに
元気で健康だった。
貧血にはなったけども。
周りから釘を刺されまくっていた妊娠期間中
まず、私が二人目を妊娠したことを
伝えると、必ずと言っていいほど
第一子の出産の話になって
二人目はもっとお産の進みが
早いから、ちょっとでもいつもと
違うと思ったら、すぐに病院に
連絡して向かうように言われていた。
それが1回、2回の話ではなく
家族からも病院の医者や看護師さん
訪問看護師、リハビリの先生、
ヘルパーさん、友だち、
日頃関わりのある人みんな
釘を刺してくれた😅
それほどまでに第一子の出産は
本当に危なかったんだな〜
と思ったと同時に、今回は
早く病院に行かなきゃ!
と思わされた。
第一子の時と全然違う
第一子の妊娠中はまだ
働いていて通勤していた。
だけど、今回の次女の妊娠中は
既に退職していた。
だからなのか、一度経験した
という慣れなのかは分からないけど
比較的落ち着いていたと思う。
長女の時はよく
胎動がわからず救急病院を
受診してたけど、
次女の時は2〜3回に済んだ。
その2〜3回の受診も
妊娠後期になり、周りから
早く病院にくるように
釘を刺されまくっていたから
仕方なく行った感じでもあった。
また、つわりも違った。
長女の時はあまり
つわりらしいつわりは
あんまり無かったけど、
次女の時は、長女の時と
比べると重かったと思う。
吐きつわりや食べづわりは
ないものの、とにかくずっと
眠いしだるいし食欲がない。
お腹の赤ちゃんのために
栄養摂って運動して休んで
活き活き生活したいけど
動く気になれないし
ご飯も食べる気しない。
幸か不幸か、結果的には、
妊娠前の体重からプラス3kgちょっと
しか体重は増えていなかった。
釘を刺されまくっていた
甲斐があって(?)、
ちゃんと点滴とか着替えとか
トイレとか準備万端の状態で
分娩台へ向かえた。
もちろん、会陰切開もされた😭
クリスマス〜出産前まで
🌸12/25 クリスマスの夜
少しお腹が痛くて、救急病院受診するも
まだ子宮口はちょっとも開いておらず
子宮頸管の長さも約1週間前に
定期受診した時と変わっていなかった。
恐らく、つわりみたいなもの
ではないか、とのこと。
NSTをしてくれた看護師さんに、
「お産近いかもねー。
もしかしたら年内かも」
と笑って言われるが、子宮頸管の
長さに変わりなかったため、
あんまり信じていなかった🙇🏻♀️
せっかくのクリスマスなのに
旦那と大喧嘩して雰囲気最悪だし、
クリスマスケーキも一口も食べれず
長女に楽しい思いをさせてあげられなくて
申し訳なかった😭😭😭
クリスマスケーキは
私のケーキ屋さんをしている
友だちに注文して、長女が好きな
プリキュアの犬(ごめん名前わからん笑)
の絵を描いてもらった💛

🌸12/26 年内最後の産科定期受診。
1〜2ヶ月前から羊水少なめだと
言われていたが、異常なし
赤ちゃんの推定体重2,500gだと聞く💓
午後は、ヨガを受けた🧘
🌸12/27 朝少しおしるし有り。
訪問看護師に相談して、念のため
午前中訪問してバイタル測ったり
見守りしていただく。
午後、出産後に利用予定で申込み
していた養育支援の支援員さんが
顔合わせのために来訪してくれた
夕方頃に、再度おしるし有り。
🌸12/28 長女の保育園は御用納め。
旦那はお昼に理容室を予約していて散髪へ。
私はダラダラしてのんびり。
夕方くらいからなんかお腹張ってるし
違和感があったため、長女を保育園に
お迎えしてお風呂に入れた後の
19:00頃に旦那に相談して、念ため
救急病院受診しとくか、という話に
なったため、母に連絡して長女を
預かって実家にお泊まりしてもらう。
20:00頃に救急病院を受診。
21:00頃に検査の結果子宮口が
約4㎝ほど開いていると言うことで
入院することになった。
検査してくれた医師からは
日にちまたがないかも。
と言われる😲
出産入院
12/28 21:00頃
入院になり、そのまま
産科病棟の陣痛ルームへ。
NSTのモニターや点滴をつけながら
ベットの上で携帯をいじりながら
ダラダラ2時間くらい過ごしていた。
抗生物質を注射してくれた。
なんか私の血管が細いのか
うまく血管に針が刺さらず
5回くらい刺され痛かった😢

23:12 子宮口6㎝になり、
第一子の時のことがあるから
急にお産が進んだら大変だね
となり、お手洗いを済ませ、
陣痛ルームから歩いて分娩室へ
移動した。(まだ余裕だった)
まだ立ち会い出産はできないものの
看護師さんが気を利かせて
家族室で待機していた旦那を
呼んで少し話ができた。
普通なら、もうみんな痛がって
騒いでるはずだけど、私は
まだ静かにしていたため、
逆に怖いと助産師さんに
不思議がられていた。
だけど、私は『28日』は
自分が事故った日であることや
実父の命日であることから
トラウマ意識があったため、
どうしても日をまたぎたい、
28日を赤ちゃんの誕生日に
したくない、という思いで
いっぱいだった。
そんな思いでようやく
日にちをまたいだ頃
12/29 0:15
子宮口は9㎝開いていた。
私は日にちをまたげた安堵からか
このくらいからはしっかり
痛みを感じ、半泣き状態だった。
立ち会い出産はできないものの、
産まれる時の時間限定で
立ち会いが認められていた為
旦那が分娩室へ来てくれた。
0:23 子宮口全開大になり
会陰切開された後その後すぐに
バシャーンと破水した。
0:27 次女誕生🤱
元気な産声を聞き、助産師さんが
赤ちゃんを見せてくれた。
可愛いな。愛しいな。
守らなきゃな。
そう思った。
分娩室へ移動して約1時間。
子宮口が全開大になって
4分という速さだったので、
産むこと自体にはあんまり
辛かった記憶はないが、
出産後に胎盤を出すことと
後陣痛と会陰縫合は、
意識がはっきりしてるせいか
ちゃんと痛いと感じる時間が長く
出産よりも辛かった笑
出産後
赤ちゃんは助産師さんが
異常はないか体を調べてくれたり
綺麗に清拭してくれたり、
体重や身長を計測してくれた。
そのあとまず最初に
旦那が抱っこしてくれた。
私は初めての抱っこは
旦那がしてほしいと
思っていたので、
すごく嬉しかった。
第一子の時は、立ち会い出産
さえもできなかったので、
余計に嬉しかったです。
その後、初めての授乳。
出産後は2時間ほど
横になったまま安静に
しておかなきゃいけないので
助産師さんが赤ちゃんを
私の胸へ連れてきてくれました。
さっきまでお腹の中に
いた子なんだなーと不思議な
気持ちになりつつ、
生まれてすぐなのに、
吸う力が強くてびっくりした。
まだ吸うのも上手じゃないから
若干痛いくらい強かった🥹
頑張って生きようとしてる、
そう生命力を感じた時間でした。
もう夜中2時前になり
旦那は赤ちゃんの入院受付と
お家へ私の入院バッグを
取りに行ったついでに、
コンビニでゼリーやヨーグルトや
チョコやたくさんのパンを
買ってきてくれました。
病院受診した時は、まさか
そのまま出産になるとは私も
旦那も思っていなかったので、
車にあらかじめ積んでいた
出産バッグしか持っておらず、
入院バッグも持ってくるべき
だったな、と思いました😖
夜中3時くらいになり、
分娩室から入院する4人部屋へ
車椅子で移動し、旦那が
買ってきてくれたゼリーや
パンを食べて4時前に就寝。
2時間半後に採血で目覚め💉
長女を出産した病院と同じ
病院での出産入院だったので
言うまでもなく普通の病院食。

だけど、元日は少し豪華だった。
朝ごはん

昼ごはん

夜ご飯からは
いつもと同じ普通の病院食。

出産時に出血が多くて、
貧血で約1か月間は
フラフラしてたけど
赤ちゃんのおかげで
なんとか元気に過ごせた👍🏻
寝不足でも貧血でも
新生児微笑を見れば
反射であると分かっていても
愛おしくて一気に
パワーチャージされ、
PH回復してました。
赤ちゃんの笑顔の破壊力すごい。
2024年12月29日の沖縄の
天気は曇り時々雨。気温14度。
晴れてなないけど、
そこまで寒くない良い日に
生まれてきてくれました🙂

年末の入院だったからか、
4人部屋だけど私が入院した
次の日にはみんな退院して
大部屋を一人部屋のように
自由に使えたことは、
私としては気を遣わず
ラッキーでした😝
事故って入院した時でさえ
大晦日は外泊許可をもらって
自宅で年越ししたので、
病院で年越すのは
人生初めてだったけど、
生まれたばかりの
次女と二人きりの年越しは
2度とないでしょう😘
(言霊信仰)
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